【自己紹介その③】著者『考スケ』の経歴(中編)

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前回のあらすじ

■ 大学卒業時、「英語」か「プログラミング」かの2択で迷い、プログラミングを選択

■ ハードルの高いプログラミング養成機関へ潜り込むことに成功

■ しかし、ハニートラップ(?)に負け・・・

■ 自己紹介第2回記事(前回記事)はコチラ 

ということで、自己紹介第3回目となる今回は、僕の経歴(中編)についてお伝えさせていただければと。

考スケ、正社員になる

修行中の身で女の子に手を出した、ということで問答無用でクビになった僕。
このプログラミング養成機関に滞在したのは、トータルで約4か月。

しかし、得たものは大きかったです。
自分で言うのもなんですが、わりとスパルタで鍛えられた分、この4か月という期間でプログラミングの能力は飛躍的に向上していたのです。

と、自慢みたいに聞こえたかもしれないですが・・・

プログラミングを勉強したことのある方はお分かりかと思われますが、現場で4か月も勉強すれば、大抵はそこそこ出来るようになるもの。
なので、特に僕が凄いとかそういう話ではない、ということだけ付け加えさせていただきます。。。

 

こうして、25歳にして華の無職へ。

・・・などと言っている場合ではないので、焦って職を探す僕。
親からのプレッシャーも半端なものではありませんでした。

それも当然ですよね。
浪人するは、留年するは、挙句の果てに無職になって帰ってくるはでは、親としてもやってられないはず。
僕が親なら、怪しい占い師との同居生活とか始めていたかもしれない。

 

しかし、予想外に就職活動はすんなり成功。
最初に受けた会社に、プログラマーとして正社員で入社することになりました。
社員20人くらいの小さい会社ですが。

ここから、ようやくまともな社会人としての生活がスタートしたのです。

考スケ、サラリーマン生活に疑問を感じ始める

晴れて正社員となり、1年半ほどは特に何を思うでもなく真面目に働きました。

同僚や先輩たちも良い人ばかりで、仕事終わりの飲みなども楽しく、何の不満もない生活を送れていましたね。

日々決まった時間に起きて、決まった場所に行って、決まった仕事をする。
これの繰り返し。

それによって、ある意味「思考停止状態」となっていたので、パニック障害に悩まされる機会も少なくなりました。
パニック障害は、考えすぎが原因となる場合も多いので。

 

しかし、1年半が過ぎた頃・・・

「自分はこのまま一生、平日は満員電車に揺られて、決まった時間に決まった場所に行き、決まった仕事をする生活を送るのだろうか?」

こんな疑問がふと沸いてきました。

この頃の生活に何の不満もありませんでしたが、特に刺激もありませんでした。
面白くないわけじゃないけど、面白いわけでもない、という感じ。

加えて、パニック障害持ちには多い「満員電車が普通の人よりも苦痛」というのもありました。

 

日々ジワジワと苦痛が募っていき、1年半ほど経った頃についに限界を迎えました。

花粉症のようなものでしょう。
体内に取り込む花粉の量が許容範囲を超えるとアレルギー反応が出る花粉症のように、日々の疑問や満員電車の苦痛が、僕の中の許容範囲を超えてしまった模様。

一度限界を感じてからは、加速度的にサラリーマン生活がイヤになっていきました。

会社に雇われるのではなく、何か自分で仕事を作り出して、自分の仕事を自由にやりたい。
そう考えるようになっていったのです。

 

もはや我慢することはできなくなり、正社員として働き始めてから1年10か月目に、信頼する上司(以下、Fさん)に退職を申し出ました。

するとFさんは、

「話はわかった。 とりあえず、今日飲みに行くか。」

とだけ言い、仕事が終わった19時くらいから僕を飲みに連れて行ってくれました。

 

Fさんと二人での飲み。

Fさんのことは尊敬していたし人柄もとても好きだったので、普段ならただただ楽しい飲みですが、この時ばかりは違います。

「きっと重苦しい感じになるだろう」
「会社的に猫の手も借りたいほど人手が足りていないし、引き留められてしまうかも」

そう予想して、ちょっと気が重かったですね。

しかしFさんは、飲み始めた19時くらいから深夜0時くらいまでの約5時間一言も退職の件には触れませんでした。

ひたすら「楽しい世間話」・「女性の話」・「冗談の言い合い」に終始し、いつもの飲みの感じと全く変わらないのです。

「居酒屋 ⇒ 居酒屋 ⇒ キャバクラ ⇒ キャバクラ」と4軒ハシゴした後、深夜0時半くらいに5軒目となるバーへ。

既にFさんは、かなりの額を支払っているはず。
しかも自腹で。(この時居た会社は、こういう飲みは経費では落ちない)

 

「どうしてこんなに普段通りなのだろう? というか、退職の件を忘れてるんじゃないだろうか?」

そんな疑問が生じ始めた5軒目となるバーでの飲み。
するとFさんは、飲み始めるなり唐突にこう切り出してきました。

「で、辞めたいんだって?」

酔っ払いながらも、「ついにきたっ・・・」と軽く緊張しつつ、辞めたい理由を説明。

苦手な満員電車を我慢しながら、毎日同じことの繰り返しとなる生活に疑問を感じたこと。
自分の好きな分野で、自分で仕事を作って、自由に働いていきたいということ。

サラリーマンを辞めたい理由は主にこの2点だったので、素直にそれを伝えました。

するとFさんは・・・

「わかった。 いいよ。 お前も真剣に悩んで決めたんだろうし、好きにやってみるのが一番だしな。 社長には上手く言っておくよ。 もし自分で仕事が作れなかったら、またすぐに戻って来いよ。」

そう言ってクイーっと残っていた酒を飲み干し、僕にタクシー代を渡して去っていきました・・・

もう、「尊敬」とか「敬服」とか「感銘」とかいう次元の話ではないです。
この時の僕の気持ちを表現できる言葉は、今のところ存在しません。

考スケ、何のアテもないまま独立する

こうして、「自分で仕事を作る!」と決意しながら、実のところまだ何のプランもないまま会社を辞めてしまった僕。

この時、27歳。
再び無職へと舞い戻ってきました。

今考えたら、本当にゾッとします・・・
よくこんなことができたものですよホント・・・

サラリーマン生活による長い思考停止期間が、僕の「心配性」という要素を薄めていたのでしょう。

 

ただ、本当に何も考えていなかったかというと、そうでもないです。

「自分でホームページを作って、そこに人を集めよう。 そうすればなんとかなるはず。」

これだけは一応頭にありました。

ということで、まずは「サイトの作り方」や「仮に人が集まったらどうやってお金を稼げばいいのか」などについての勉強を始めました。
仕事辞める前にやっとけって話ですが。

 

そしてここからの半年間は、プログラミングを学んでいた時以上に頑張っていた時期だと思います。

ひたすら「勉強」・「実践」・「仮説」・「検証」を繰り返し、どうすれば良いサイトが作れるか、どうすれば作ったサイトに人を集められるか、だけに集中していました。
2004年のことです。

その甲斐あって、半年後には1日3,000人くらい集まるサイトを作ることに成功。
しかし、マネタイズしづらいジャンルのサイトだったため、月の売り上げは最高でも5万円とかそういうレベル。

少ない貯金を切り崩しながら生活していたのですが、独立後半年にして早くも経済的に困窮し、借金もどんどん増えていきました・・・
借金は、最高で100万円ちょっとまでいったと思います。

しかし手応えはあったため、サイト作りを諦めることはありませんでした。

考スケ、派遣社員で食いつなぐ

収益化は進んでいないものの、とりあえず集客には成功しているということで、それを心の拠り所としてサイト作成を継続する僕。

しかし、先立つものが無い。
これ以上借金を増やすのは避けたい。

ということで2005年、持っている唯一のスキルであるプログラミングを活かし、派遣社員として働くことにしました。

派遣社員を選択した理由は、「時給が高い」・「基本的に定時で上がれる」の2点。
確か、月~金で10時~19時で働き、月に40万円弱の収入だったと思います。

なおこの派遣先では、プログラマーとしてだけではなく、ヘルプデスク的な仕事も含まれていました。
そのため、わりと時給が高かったのです。
27~28歳の若造が手にする月給としては十分すぎる金額。

 

しかし、良い事ばかりではありませんでした。

この派遣先の会社、社員さんたちのITレベルが非常に低く、プログラミング業務はまだしもヘルプデスク業務が異常に辛かったのです・・・

「済みません! パソコンが壊れてしまったみたいで、電源が入りません!」

と言うので見に行くとしっかりコンセントが抜けていた、なんていうお決まりのパソコン初心者あるあるから、

「絶対に消しちゃいけないファイルを完全削除してしまったんですけど、復活できませんか?」

などという、逆にどうしてそんなことをしたのか問い質したくなるようなミスのフォローをさせられたり。。。

この時は、共有サーバーの奥深くにバックアップされていたファイルを探し出すことでなんとかなりましたが、あのバックアップファイルが無ければ誰かのクビが飛んでいたところです。

 

こんな感じで、プログラミング業務をしている最中、頻繁にいろいろな部署に駆り出され、初心者にありがちな凡ミスの対処や、「何がどうなってこうなった・・・?」みたいな初心者ならではのトリッキーなミスのリカバーなどに追われる日々を過ごす僕。

・・・と、これだけ書くと楽しくなさそうに思われるかもしれませんが、実は前の会社よりも全然楽しかったんですよね。

若い女性や気の合う同年代の男性が多く、仕事帰りの飲みだけでなく、休日に集まってバーベキューをやったりと、非常に充実していた期間でした。
戻れるなら、もう一度あの時間を過ごしたいくらい。。。

おかげ様で、サイト作りの方はやや停滞してしまっていたのですが・・・
本末転倒。

【その④へ続く】

著者『考スケ』のプロフィール/自己紹介/経歴

■【その①】著者『考スケ』のプロフィール/自己紹介/経歴

■【その②】著者『考スケ』の経歴(前編)

■【その③】著者『考スケ』の経歴(中編) ☜今ココ

■【その④】著者『考スケ』の経歴(後編)

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