【自己紹介その④】著者『考スケ』の経歴(後編)

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前回のあらすじ

■ 一旦正社員になるも、疑問を感じて退職して独立

■ 独立したものの上手い事いかず、借金が嵩む

■ 生活費を得るために始めた派遣社員が意外と楽しくて困ってしまった

■ 自己紹介第3回記事(前回記事)はコチラ 

ということで、自己紹介第4回目となる今回は、僕の経歴(後半)についてお伝えさせていただければと。
ちなみに、自己紹介記事はこれで最終回となります。

考スケ、再び本業に打ち込む

かわいい若い女の子たち。
気の合う同僚たち。
高い給料。

そんな魅力的な環境に加え、ヘルプデスク業務も落ち着きを見せたことで仕事も楽になり、ただただ楽しい時期と化した派遣生活。

しかし、1年ほど過ぎた頃にふと我に返ります。

「これでいいのか?」と。
「自分のやりたいことは違ったはずだ」と。

そう考えだした一番の要因は、「単調な仕事」。

今にして思えば、派遣序盤から中盤にかけての無茶苦茶なヘルプデスク業務が面白かったのかもしれません。

日々、予想だにしない依頼が舞い込み、それを解決するためにネットで調べまくり、試行錯誤しながら解決していく。
時には、プログラミングそっちのけで1日がかりで1つのトラブルに対処する、なんてこともありました。

やっている最中は、

「辛い・・・」
「面倒くさい・・・」
「なんでこんなことになってるの・・・?」
「ていうかこれ、解決できるのか・・・?」

などと思っていましたが、実はやりがいを感じていたのだと思います。
仕事内容が単調ではなかったから。

しかし、1年も居れば大抵のトラブルを解決し尽くしているし、新たなトラブルも以前のトラブルの亜流だったりするので、解決するのに困ることはほとんどありません。

そしてプログラミング業務の方は、最初からそんなに難しいこともなく、なんとなくでやっていても終わるレベルのものばかり。

結局は、どんどん単調になっていく仕事に飽きてしまったのです。

 

加えて、やはり段々イヤになってきたのが満員電車。
パニック障害持ちにとって、どうしてもストレスとして積もり積もってきます。

この2つの難点で合わせて1本となり、退職を決意。
きっちり引き継ぎを完了させた後、派遣社員生活に終止符を打ちました。

そしてここから再び、本業であるサイト作りに力を入れていくことに。

考スケ、気まぐれから再度会社員を目指す

比較的高い給料+本業のサイト運営の方での収益により、28歳の頃は月50万円前後の収入がありました。
これにより、100万円ちょっとあった借金もいつの間にか完済。

サイト運営による収益も、月平均10万円くらいまで伸びてきていたので、食っていくだけならあともう少し、というところまで来ていました。

そして派遣社員を辞めた1年後には、ついに月30万円前後の収入を本業だけで得られるようになり、一応食っていくだけならできるようになりました。
2006年の終わりくらいのことです。

僕としては、このまま本業での収益を伸ばしていこうと考えていたのですが、ここでちょっとした気持ちの変化が。

この当時、大学時代の知り合いだった女性と付き合っていたのですが、この彼女・・・

自営業なんてのは水物。
いつどうなるかわからない。
サラリーマンこそ素晴らしい。
公務員ならば最高!

・・・という考えを持っている、強烈な「サラリーマン信奉者」だったのです。

もうサラリーマンをやるつもりがなかった僕でしたが、この彼女、「サラリーマンができない人ってちょっと問題あると思う」みたいな感じで頻繁に挑発してきます。。。

最初は無視していたものの、思うところがあって、もう一度会社勤めをすることについてじっくり考えてみた僕。

その結果・・・

「今の自分が29歳。 30歳を超えると就職しづらくなるだろうし、もう一度サラリーマンをやってみていろいろ経験を積んだりできるのはこれがラストチャンスかな。」

という結論に達し、最後のサラリーマン生活をやってみることに。

 

幸い、「プログラムが組める」「サイト運営で食っている」ということが武器になり、最初に受けたIT系の会社に合格。

すんなりとサラリーマン生活を再開することができました。

そしてこのサラリーマン生活で、僕の人生における大きな転機が訪れることになるとは、入社時には全く予想していませんでした。

考スケ、正社員(?)として奮闘する

とあるIT企業に無事入社できた僕。

「この会社の社長がアフィリエイトに強い興味を持っていた」というのが合格の決め手だったらしいです。

パニック障害持ちであることも事前に伝えたのですが、むしろそっちの方も興味を持たれました。。。
なんて好奇心旺盛な社長だ・・・

 

そして入社後は、ごく自然とweb広告に関する業務が主となり、自営として一人でやっているだけでは学べないようなことを学ばせていただきました。

ちなみに雇用形態は、最初は「正社員」として入社したものの、本業の方の収益が月に30万円ほどあることが社長的にやや引っ掛かったようで、一旦社長と二人で話し合うことに。

もちろん、面接の時に「事業収入が月に30万円くらいあります」と事前に伝えてあるため全く問題はないのですが、正社員としていただく給料も30万円くらいだったことで、社長から以下のような物言いが。

「給料と同じくらいの収益が他にあるとなると、他の社員にも示しがつかない。 みんなも副業を始めてしまい、副業に夢中になってしまうかもしれない。 もちろん、君は悪くない。 最初から聞いていたことだし。 でも・・・よく考えたらやっぱり問題があるので、正社員ではなく業務委託としてやってもらえないか?」

正直、「???」でしたね。

事前にはっきり伝えてある上、その後社長と二人で飲みに行く機会も結構あって、その場でも僕の事業について散々話していたのに、ここへきてなぜ・・・?という疑問はありました。

しかし、言っていることはもっともだし、そもそも僕はこの社長のことが結構好きでした。
僕より8つ年上で、入社間もない頃から可愛がってくれた兄貴的存在。
六本木や銀座という、僕にとっての未知な世界にちょこちょこ飲みに連れていってくれて、いろいろな話もしてくれました。

そんな経緯もあり、「最初の話と違うなー」とは思いつつも特に反論することはなくわかりました、では業務委託で」と承諾。
入社3か月目から業務委託へと切り替わりました。

ちなみに、言うと面倒くさいことになると思い、正社員信者の彼女には「正社員」という事にしておきましたが。。。
実際、仕事は正社員時代と変わらなかったので。

そこからは、正社員時代同様の業務を一心不乱にこなす日々を過ごしました。

考スケ、転機を迎える

新たな会社で働くこと約半年。
僕の事業の方も徐々に伸びてきて、この頃は月に50万円前後の収益が出るようになっていました。

ちょっと冒険に出た月もあるのですが、その月は大成功となり、群を抜いて過去最高となる230万円という収益をゲット。
まあ、こんな高収益はこの月だけですが・・・

 

「にしても、それくらい収益が出てるなら、さっさと会社辞めて事業に専念した方がいいのでは?」

と思われるかもしれません。

しかし、これまたいつものことで、この会社にいることが楽しくなってしまったのです。

社長にいろいろな場所に連れて行ってもらう事。
同僚たちとの飲み。
一人で仕事してたら学べないこと。

・・・などなど。

そんな環境に甘えて、またもやズルズルと残ってしまい・・・
我ながら、なんて成長しない男なのだろう・・・

 

あと、何より大きかったのが、「妙に気になる女性ができた」ということ。

会社で何度も顔を合わせていたものの、最初は特になんとも思っていなかったし、顔が好みとかそういうことも全くありませんでした。
しかし、話しているとやたら盛り上がるし共感できるし楽しいのです。

正直、今までの彼女については顔重視で選んでいた僕。
それゆえこの頃も、例の「サラリーマン絶対主義」という、根本的に考え方の合わない彼女と付き合っていたくらい。

でも、この時僕はもう30歳。
そろそろ結婚も考える必要があります。

そして、結婚する上で一番大事なのは「中身」「相性」
顔やスタイルなど二の次。
そんなことくらいは、散々アホなことをしてきた僕でも一応わかっていました。

例の女性も、僕のことなど好みでも何でもなかったらしいのですが、「話が合う」「相性が良さそう」ということは感じてくれていた模様。

これを受け、僕はこの時の彼女に別れを告げました。
そもそも、「サラリーマン絶対主義」以外にもいろいろと価値観の合わない部分が多かったので。

そのあたりをしっかり説明し、彼女も納得した上でお別れしました。

そして、先ほどの「相性が合う会社の同僚」と付き合い、ほどなくして結婚。
結婚を機に、社長ともじっくり話をした上で、二人して会社を辞めることに。

夫婦揃っての寿退社というのはなかなかレアだと思います。。。

一緒に辞める必要はなかったものの、結婚という節目を迎えることで、ここからは本格的に自営一本で行こうと決意した次第でして・・・

理解していただき、快く送り出してくれた社長にはひたすら感謝です。

考スケ、いきなりピンチに陥る

こうして、

■気の合う伴侶をゲット
■自分の事業も上向き
■妻がすぐに第一子を妊娠

・・・という絵に描いたような幸せな流れを辿る僕。

2008年、30歳のこの時が、人生の絶頂期だと思ってしまったくらい。

 

しかし、会社を辞めて2か月後、突如悲劇が・・・

 

最初は僕が一人暮らしをしていた家で同棲していたのですが、結婚直後に妊娠も分かり、「じゃあ新居を探そう」ということで、【東京都新宿区の神楽坂】というなかなかのお高い場所にて家を借りました。

当然家賃も高く、その月々の賃料は約25万円というお値段。

しかし、「このまま事業が上向けば全然余裕!」などと考えており、新婚生活にただただ浮かれておりました。。。

そんな僕に天罰が下るかのように、ピンチは訪れます。

なんと、家賃25万円のマンションに引っ越した翌月の収益が、35万円だったのです・・・

毎月60~70万円はコンスタントに稼げるようになっていたこの時期なのに、なぜかここへ来ての急落。

35万円-25万円ということは、残り10万円。
この時期、光熱費や税金などの固定費だけでも大体10万円くらいかかっていたので、実質生活費はゼロ・・・

詰んだ。

新婚2か月で、僕はそう思わざるを得ませんでした。

詰んでる場合じゃない

しかし、事情はどうであれ新婚2か月で詰んでいる場合じゃない。
それは当たり前のこと。

妻のお腹の中にいる子供のオムツ代やミルク代を稼がないと。
そもそも出産費用を稼がないと。

引っ越し関連でほぼ全財産を使い果たしていた僕は、とにかく必死になりました。

今持っているサイトたちでのマネタイズ。
新たなサイトの企画。
ここまで知り合ってきた自営絡みの友人たちに相談。
web広告関連での仕事上の付き合いがある人たちに相談。

思い付く限りガムシャラに行動していった結果、3か月ほどでなんとか収益が回復。
以前の月平均60~70万円くらいの収益を確保できるようになりました。
あの時は本当に怖かった・・・

 

以後、なんとか収益を維持するも、この時の恐怖が忘れられず、家賃25万円のマンションからはわずか1年半で撤退。
現在も住んでいる千葉県へと移り住みました。

千葉を選んだ理由は、僕の実家が近いのでいざという時に子供の面倒を見てもらえるし、妻と僕の両親の仲もやたら良いし、何より家賃が安い、といったあたり。

今では、僕が家で仕事をしている時に、妻子だけで僕の実家に行っちゃってた、なんてこともしばしば。
まあ、不仲よりは全然いいのですが・・・僕の仲間ハズレ感が・・・

両親の口癖も、「別にアンタは来なくていいよ」。

【一浪 & 一留 & すぐ無職になる】という過去の三重奏が、未だに響いているのでしょうか・・・

そして今・・・

結婚、そして第一子誕生を経つつ、2010年には法人化。

とはいえ、一人会社なので実態は何も変わらず。
相変わらず、web広告をメインに自営業として生計を立てていました。

2010年からの売り上げについては、浮かれまくるくらい良い時もあったり、泣きたくなるようなピンチもあったり、という激動の自営生活。
まあ、安定の自営生活などほぼ存在しないんですけどね。

 

そんな不安定な生活を繰り返しながら、気づけば事業を始めてから約15年。(2019年現在)
今でも、一応自営として食えています。

ただ、今現在、まさにピンチ真っ最中で、何か打開策を見つけないとヤバいのですが・・・

パニック障害関連しかり、僕の仕事関連の話についても、カテゴリー化して詳しく語っていけたらと思います。

あとがき

以上、僕のプロフィールから始まり、性質・経歴・その他諸々について語らせていただきました!

立ち上げ直後のブログでの自己紹介など、使用済みのティッシュ以下の価値しかなく、誰も読んでいないことは重々承知。

そんな中で、トータル約15,000文字の自己紹介執筆は、アルコールなしには成し遂げられませんでしたね。
ありがとう、角ハイボール。

 

ということで、今後はなるべく毎日更新・・・に近いくらいの頻度で更新していきたいと思うので、「よし、じゃあ読んでやろうじゃないか!」という心優しき読者様、是非是非よろしくお願い致します。

著者『考スケ』のプロフィール/自己紹介/経歴

■【その①】著者『考スケ』のプロフィール/自己紹介/経歴

■【その②】著者『考スケ』の経歴(前編)

■【その③】著者『考スケ』の経歴(中編)

■【その④】著者『考スケ』の経歴(後編) ☜今ココ

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