ことわざや格言で「なんとやら」と省略する日本の奥ゆかしさ

考察・オピニオン

「ほら、勝って兜のなんとやら、って言うじゃん?」

こんな言い方を耳にしたことはないでしょうか。

僕は、昔から疑問に思っていました。
なんで「勝って兜の緒を締めよ」と最後まで言い切らないのか、と。

このことわざに限らず、誰しもが知っているいようなことわざでも、あえてボカして表現される場合がありますよね。

実際僕も、他のサイトやブログで記事を書く際に、この「なんとやら」を使ったことが何度もあります。
特に意味もなく、ただなんとなく。

この慣習はなんなのか。
何故意味もロクに理解しないまま、こんな使い方をしてしまっていたのか。

そのあたりが気になったので、数年前に調べたことがありました。

日本人の奥ゆかしさ故だと思われる

その結果、いくつかの答えが出てきたのですが・・・

一番しっくりきた答えがこれです。

【ことわざを最後まで言い切ってしまうと、相手によっては角が立ってしまう場合があるので、あえてボカして表現を柔らかくする】

うん、もうこれが答えでしょう。

 

冒頭で出したことわざ、「勝って兜の緒を締めよ」。

これは言うまでもなく、「何事においても、勝ったからといって油断するな」という意味。
このことわざを使う際、目上の人に使うことを考えるとなかなか使いづらいですよね。

仕事において、相手が目上の人であろうとも、つい一言たしなめたくなるようなシーンもあるでしょう。

「あまり調子に乗らない方がいいですよ」と伝えたくても、目上の人に対してこのまま言うのはかなり問題があります。
上から目線が過ぎるので。

こんな時に、「勝って兜の緒を締めよ」は便利なことわざ。

しかし、ことわざに言い換えたとしても、そのまま伝えてしまうとやはり棘があります。

例えば、こんな場合。

先輩と二人で行った営業先で大成功。
普段は頼りないが、この日の先輩は大活躍し、見事契約成立。
そのため、先輩がその後の飲みではしゃぐはしゃぐ。
普段いろいろとやらかしていることなどノータッチで、今回の手柄を盾に『独自の俺論』が止まらない。

こんな時に、つい我慢できず、以下のように伝えてしまった場合はどうでしょうか?

「今回の営業は成功でしたけど、勝って兜の緒を締めよということわざもありますし、部下である僕も引き続き頑張って行こうと思います!」

ほとんど気にならないっちゃ気にならない。
至極まともなことを言っている。

しかし、妙なところに引っ掛かる人ならば、「部下なのに、少し上からだな」と感じる人もいるかもしれませんよね。

そんな細かい部分に引っ掛かる方が悪いという意見も多いでしょうが、職場の先輩は選べません。

どんな場合にも対応できるよう、可能な限りエクスキューズは利かせておくべきでしょう。

 

そう考えると、「勝って兜の緒を締めよ」の部分を、ここはあえて「勝って兜のなんとやら」に変えることで、少し表現が柔らかくなります。

はっきり言い切ってしまうよりは、だいぶ印象が軽いです。

「なんとやら」の効果により、気を遣っていることも伝わるし、言葉の印象からも角が取れて引っ掛かりづらくなる。

こういう日本語の特性を生かした奥ゆかしさから生まれた表現が「なんとやら」なのでしょう。

他の理由もありそう

もちろん、これだけではなさそう。

まず一つは、【単にことわざの後半部分があやふやなので誤魔化す】というため。

無数にあることわざ。

そんな数限りないことわざについて、すべてにおいて前半部分・後半部分ともに完璧に覚えているかどうかと言えば、自信がない人も多いはず。

当然僕もその一人です。

前半部分は比較的覚えているが、後半部分がやや怪しい、というパターンはあるでしょう。
そういった時の誤魔化しとしての「なんとやら」もあると思われます。

 

あとは、「どれが正しい言い方なのかが微妙」ということわざがあることも影響しているのかなと。

例えば、

■将を射んとすれば 馬を射よ

■将を射んとすれば まず馬を射よ

どちらも同じことわざですが、微妙に言い方が違います。

どちらでも別に構わないのでしょうが、「相手が違う方で認識しているかもしれない」と思い、あえてボカしてお互いモヤモヤする可能性を減らすというのは、非常に合理的かつ繊細で、これまた実に奥ゆかしい心遣いだと思います。

あとがき

結局、明確な答えが出せず終いで申し訳ないですが・・・

基本的には、他者を思いやる気持ちから生まれた美しい文化だと考えています。

こういった思いやりの心・・・ただただ好き!!

タイトルとURLをコピーしました