冠婚葬祭などの儀式は本当に必要か?僕が冠婚葬祭は必要ないと考える理由

考察・オピニオン

先日、父親の弟が亡くなりました。
僕からすると、叔父にあたる方です。

この叔父さんには、幼少期に非常にお世話になりました。
かわいがってもらったし、僕もこの叔父さんのことが大好きでした。

そして、会わなくなって約30年。
そんな叔父さんが、がんで亡くなられまして・・・

ここから、家族間で一悶着ありました。

亡くなってからでは意味がない

「叔父が末期がんで、もう長くないかもしれない」と親から聞いた時は、当然ショックでした。
長らく会っていなかったとはいえ、幼い頃の思い出はしっかり残っていたので。

しかしショックを受けつつも、僕は葬式には参列しないことを親に伝えました。

生きている時に会うことに意味はあっても、亡くなってから行われる『葬式』という個人的に理解しがたい儀式に参加するのは筆舌に尽くしがたいほどの精神的苦痛だ、と。

このことは、今回だけでなく、それ以前からも繰り返し伝えていたこと。
自分はそういう価値観を持っている、と。

その分、なんとか叔父が存命のうちに会いたいと考え、努力しました。

 

しかし、叔父が住むのは長野県。
僕が住むのは千葉県。

「そんなに遠くないじゃないか」と言われてしまいそうですが、パニック障害持ちにとってこの距離はまあまあ厳しいのです・・・

どうしても行けないという距離ではないですが、事前準備や覚悟がかなり必要になってきますし、仕事にも大きな影響が出ます。

今は仕事的に苦しい状況ということもあり、準備は遅々として進まなかったのですが、可能な限り頑張りました。

しかしその矢先、叔父は亡くなってしまいました。

本当に残念でしたし、悔しかったです。
生きている間に会いに行けなかったことに対しては、今でも心底情けなく思っています。

価値観の違いによる衝突

ここからは、当然「葬式へ」という流れになるわけですが、前述の通り、これはキッパリと断りました。
親から再三要求されたものの、大変申し訳ないながら固辞させていただきました。

 

葬式に参列しない理由。

それは、パニック障害持ちゆえに厳しいというのももちろんありますが、一番の理由は、【冠婚葬祭という儀式について個人的に全く理解できない】という僕の価値観が大きな理由。

一般的に、『3親等以内の親族』の場合は葬式に参列するのが通例とのこと。

今回の場合、僕は3親等に位置します。
親世代の人間にとっては、僕が参加するのは当然という認識でしょう。

しかし最近では、3親等以内でも葬式には参加しないという方も増えている模様。

実際に妻の家もそのタイプで、妻の祖母が亡くなった時も、妻の父は「遠いし、別に来なくていいよ」と言ってくれていたらしいです。
他にも、そういった例はたまに耳にしますね。

 

価値観の多様化。

これは、あって然るべき。

一概に「人が死んだことへの式典なのだから、何があっても行くものだ!」みたいな一元的な考え方は、正直理解できないし、あるべきではないと思います。

今回親とぶつかったのも、まさにこの部分。
何度も話し合いましたが、お互いの主張は平行線のまま。

すると母親は、こんな代案を出してきました。

「じゃあ、どうしてもアンタが参列しないなら、●●さん(妻の名前)に代理で来てもらうようにして。」

これには耳を疑いました。

僕の儀式に対する価値観を全く理解しようとしないこと。
その上、もし僕が行かないのならば、「代役として妻を」という考えを突きつけてきたこと。
さすがに失望してしまいました。

そんなこと、余計に出来るわけがないです。
妻からすれば全く知らない人の葬式に、僕の身代わりとして遠方まで行ってもらうなどありえない。

もちろん拒否しましたが、「せめてそうしてくれれば体裁が保てるから」の一点張り。

ここでも、再度ぶつかることに。

親の体裁を保つ為ならば、こちらの事情などどうでもいいのか、と。

もちろん、親の気持ちもわからないでもないです。
ある種、親も被害者。
ここまで価値観の合わない息子を持ってしまった、という点で・・・

田舎というのはそういう慣習が強く残っているのかもしれないし、古い世代の人間からすると「葬式は何があろうと出るのが当たり前」という固定観念を持っている方も多いだろうし。

そういう状況に柔軟に寄り添えない僕は、息子として駄目な人間なんだと思います。
この点は心底申し訳ないです。

ただ、それでもなんとか理解してほしい・・・
そう願わずにもいられないんですよね。

本当に難しい問題です・・・

こういうデリケートな問題が生まれてしまう可能性があることも、僕が儀式を嫌う一つの理由です。

人が亡くなった時の僕なりのおくり方

そもそも、葬式に参加すれば亡くなった方を偲んだことになるのか?

僕は、全く違うと考えています。

今回の叔父の葬式の件でも、「面倒だなぁ~」なんて考えながら義務的に参列している人より、僕の方がよっぽど偲んでいます。

家にいながらではありますが、叔父の死を知らされた日、僕は一人で部屋に籠って通夜代わりに仕事そっちのけで酒を飲み、叔父のことをひたすら思い出していました。

そして、楽しい思い出に一人思い出し笑いをし、かわいがってくれたことに改めて感謝し、最後は泣きました。
一人で、部屋でさめざめと。

正直、この記事を書きながらも先日のあの気持ちが蘇ってきて、今も少し目頭が熱いです。

 

僕は、これこそが正しい形だと信じています。

もし僕が死んだなら、葬式なんて絶対にやって欲しくないし来て欲しくもない。
死んでまで、周囲の人にお手間を取らせたくない。

これは、妻にも口酸っぱく伝えています。
絶対にやめてくれ、と。

他人様にわざわざ時間を作らせて、お金をかけさせて、労力をかけさせて、自分が完全否定している『葬式』という儀式に参列させたいなどと微塵も思いません。

その代わり今回の僕のように、家に居ながらにして、時間のある時に僕が死んだことについて数十分、いや数分でもいいから思い出してくれれば、それが最高に嬉しいです。

そんな幸せなことがあるだろうか?とすら思えますね。
通夜で、美味いつまみで酒を飲みながら、上機嫌に雑談で盛り上がられるよりよっぽどいい。

大事なのは、「式に参列すること」ではなく、「故人を偲ぶこと」だと僕は思います。

冠婚葬祭は、意味があると思っている人だけが行くべき

僕は、冠婚葬祭といったいわゆる『儀式全般』について、かなり否定的な考えを持っています。

大学時代は、入学式も卒業式も成人式も出ていません。

・・・卒業式や成人式の後にある飲み会には行きますけど。。。
それは、「友人や知人との飲み会は楽しい」という意味があるから。

しかし高校を卒業して以来、徹底して『儀式』には出ていません。

その理由はただ一つ、「参加する意味がわからなかったから」

楽しくも無いし、やる意味すらもわからないことをさせられる精神的苦痛・・・それはとてつもないもの。
まさに賽の河原。

 

例えば、『成人式』の意義について調べてみたんですよ。

すると万能なるGoogle先生は、こんな答えを提示してくれました。

【新成人達が、両親や周りの大人達に保護されてきた子供時代を終え、自立し、大人の社会へ仲間入りすることを自覚するための儀式(成人式)を行う日】

意味が分からない。

あの式典にただ参加するだけで、大人社会へ仲間入りする自覚など生まれるわけがない。
理想論にも程があります。

テレビでも、よく成人式の様子が映し出されますよね。

もちろん、テレビでは悪目立ちしているところをピックアップする傾向にありますが、それにしても、「成人式に出たことで大人の自覚を持てた!」というような雰囲気は全く伝わってこないし、実際にそんな人などほとんどいないはず。

僕の周りでも、成人式に出てから急に大人の自覚が生まれた、なんて人と出会ったことがありません。

ただなんとなくの参加だったり、同窓会気分だったり、義務的に参加したり、お祭り感覚だったり、という参加者がほとんどのはず。

「よし、この儀式を通して、今日から成人としての意識を高めるぞ!」などと思って式に臨んでいる人などごくわずかでしょう。

 

結婚式もそう。
僕には全く意味が分かりません。

「離婚の抑止力になるから」というのも、今ではほとんど機能していないように思えます。
式を挙げようが、離婚する夫婦はサクっと離婚します。

当然僕は結婚式をやっていませんし、人の結婚式にも行きません。

もちろん結婚した友人・知人に対して「おめでとう」という気持ちは強く持っているし、個人的に食事をご馳走したり祝いの品や祝儀を渡したりはします。

でも、わざわざ日時と場所を指定され、ビジネスとして行なっている結婚式場運営側のプログラムに沿って行動させられることは非常に不愉快だし意味不明。
ただただ苦痛な時間。

「参加してみたら考えが変わるかも」と思い、気乗りはしなかったのですが、一度だけ頑張って弟の結婚式に参加したことがありました。

しかし結果は予想通り。
どうしようもないほど空虚かつ無駄な時間に思えて、途中で退席しました。

退席理由は、もちろん僕の価値観に一切合わなかったということが一番でしたが、それと同じくらい、僕のような気持ちで結婚式に臨んでいる人間がこの式場にいてはいけないのだ、という思いからです。

式という厳かな儀式に対して失礼極まりない。
その場を楽しんでいる方もたくさんいらっしゃるのだから。

なのでそれ以来、より強く「結婚式には行かない」と誓いました。

 

誤解していただきたくないのが、

「儀式なんて無意味だ」
「参加する人間は愚かだ」

などと言っているのではありません。

微塵もそんなことは思っていませんので悪しからず。

その場を楽しんでいたり、意味があると思ってやっている人たち同士でやるならば、非常に有意義で重要な場と化すのですから。

そうではなく、僕のように全く儀式を理解できないという人間もいるということ。
そして、僕のような人間が疑問を感じながら嫌々儀式に参加するのは違うということ。

これが言いたいだけなのです。

文化や風習は大事だが

脈々と受け継がれてきた文化や風習というのは非常に大事。
もちろんそれは分かります。

なので、それを大事だと思う人が、一生懸命大事にしていけばいいと思うんです。

しかし、全員にそれを強要するのは違うのかなと。

 

実際、消えていった文化・風習などたくさんありますよね。

そういったものはなぜ消えたか?

それは、その文化・風習を大事に思う人が時代によって次第に減っていき、ついには居なくなったからに他なりません。

人間は、自由な意思・自由な価値観を持つべき。
「周りがそうだから」「昔からの伝統だから」「そういうものだから」という主体性の無い理由で、納得のいかないことや意味のわからないことに無理に付き合う必要はないと思っています。

 

冠婚葬祭は、かなり昔から存在し、今なお続く伝統的な儀式。

これだけ長い間存在し続けているという事は、支持する人が多かったのでしょう。

しかしそんな冠婚葬祭も、ここへきて「やらない」という人たちが増えてきています。

やるとしても、葬式ならば家族葬だったり、結婚式なら地味婚だったりと、こじんまりと済ませるパターンも多いですよね。

直近ではないにせよ、もしかしたら数十年後には、冠婚葬祭という文化・風習も大きく形を変えるか、もしくは無くなっているかもしれません。

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